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「相続問題」1000万円以下の遺産額で“争続”になったケースは、全体の3割を超えている

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人生100年時代  やっておきたい相続の準備 家族が亡くなると、必ず「相続」が生じます。残念ながら、それがもとでトラブルになることも。残された親族のために、今のうちにどういった準備をしておいた方がいいか、株式会社ローズパートナー取締役で税理士の久野綾子さんに聞きました。   “争続”にならないように 「相続」というと、資産家の話といったイメージがある人も多いのではないでしょうか。相続税ではなく、相続との観点でいえば、実は誰でも直面します。なぜなら預貯金をはじめ、土地や建物といった不動産、家財一式も相続財産になるからです。 それをどう分けるかといった、家族や親族間でのトラブル“争続”は、実際に多く発生しています。しかも、1000万円以下の遺産額で“争続”になったケースは、全体の3割を超えているのです。 後に不要なトラブルにならないよう、今から準備をしていってほしいと思います。 財産の棚卸しを進めよう 相続とは、「争うことなく、スムーズに次の世代に引き継ぐこと」であると考えています。そのため、相続人や親族の手を煩わせないような準備をしておきたいものです。 まずは、「財産の棚卸し」からです。つまり、どういった財産を所有しているのかをはっきりさせておきましょう。 全財産の中で不動産と預貯金が大きな割合を占めます。預貯金がいくらあり、どこの銀行に預けているのか、不動産はどこにあるのか、売買契約書や通帳などはどの場所に保管しているのかといった内容をエンディングノートなどにまとめておくといいでしょう。 万が一の際、相続人となる配偶者や子どもらが「預貯金は、どこに預けていたのか」「さまざまな契約書はどこにしまってあるのか」といったことが分かるようにするのです。 預貯金を複数の口座で所有している場合、少額であれば、管理できる範囲内でまとめておくといいでしょう。整理してあれば、相続時に相続人が手続きする手間を減らすことができます。 保険の整理や見直しも大切です。故人の保険契約を家族が確認できる「生命保険契約照会制度」の運用が始まっていますが、それでも、いざというときに、「どんな保険に加入していて、その問い合わせ先が分からない」といったことがないよう、書類をまとめておき、必要な人と共有しておくと困りません。 「契約者」「被保険者」「受取人」の確認も大切です。次の世代への相続と考えた場合、...

「無常」の原理を忘れ、それを常住だと思って執着するところに、魂の苦しみが生ずる原因がある

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  【創造する希望――池田先生の大学・学術機関講演に学ぶ】第12回㊤ アメリカ カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)「21世紀への提言――ヒューマニティーの世紀に」 米カリフォルニア大学ロサンゼルス校で、講演を行う池田先生。日本時間では、4月2日午前7時過ぎ―― 恩師・戸田城聖先生の祥月命日の朝だった(1974年4月1日) 海外の大学・学術機関で行われてきた池田先生の講演を掲載する連載「創造する希望」。第12回は、アメリカのカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の講演「21世紀への提言――ヒューマニティーの世紀に」(1974年4月1日)である(上・下に分けて掲載)。     掲載範囲のポイント ●トインビー対談を踏まえて論を展開 ●普遍的な真理を説く仏法の哲理 ●「無常」を見つめることから真実の悟りが   生命尊厳の思想を基盤とした文明築く 本日はUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)のヤング総長、またミラー副総長のご招待をいただき、アメリカの知性を代表するキャンパスで講演できることを、心の底から喜んでおります(拍手)。これからのアメリカを、否、二十一世紀の世界を担う皆さんへの満腔の期待と敬意を込めつつ、講師としてというよりも、むしろ、ともに未来を語り合う友人として話をさせていただきます。(大拍手)   一昨年(一九七二年)及び昨年(七三年)の五月、イギリスの歴史学者であり哲学者でもあるトインビー博士の招待を受け、約十日間にわたって真摯な討議をいたしました。私は人間対人間の中に、相互の触発があると信ずる一人である。ゆえに、対話を最も重んずるのであります。   ご存じのとおり、トインビー博士は現代の誇る最高の知性の一人であり、人類の巨大な財産であります。八十五歳でありながら、なお、かくしゃくとして創造的な仕事を続けておられる。   トインビー夫妻は、いつも六時四十五分に起床しておられるようであります。この時間は、諸君はまだ睡眠中かもしれないし(笑い)お手洗いにいって、もう一度寝床に入る時間かもしれない(笑い)。起きられるとすぐに、お二人でベッドを片づけ、朝の食事を作るそうであります。そして九時になると博士は、用事があってもなくても、ご自身の机に向かうそうであります。   私はこの姿を拝見して、美しく老いたものだと思った。諸君のように、若さと...

煩悩は、生命が本来もっている根源的な本体から発現してくるものであり、なくすことはできない

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  【創造する希望――池田先生の大学・学術機関講演に学ぶ】第12回㊦ アメリカ カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)「21世紀への提言――ヒューマニティーの世紀に」 〈1974年4月1日〉 米カリフォルニア大学ロサンゼルス校で池田先生は、1時間15分にわたって講演を行った。最初から最後まで、手を休めることなく熱心にメモをとり続ける学生が目立った(1974年4月1日) 海外の大学・学術機関で行われてきた池田先生の講演を掲載する連載「創造する希望」。今回は、アメリカのカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の講演「21世紀への提言――ヒューマニティーの世紀に」(1974年4月1日)㊦である。   掲載範囲のポイント ●「無常」の現実の奥に常住不変の法が ●「魔性の欲望」に負けず「人間自立の道」を ●今日の課題は一人一人の精神的跳躍   「小我」を乗り越え「大我」に生きよ! 仏教の真髄は、煩悩を断ち、執着を離れることを説いたものでは決してない。無常を悟って、諦めを説いた消極的、虚無的なものでなく、煩悩や執着の生命の働きを生みだす究極的な生命の本体や、無常の現実の奥にあり、それらを統合、律動させている常住不変の法のあることを教えたのが、仏法の真髄なのであります。 すなわち、無常の現象に目を奪われ、煩悩に責められているのは「小我」にとらわれているのであり、その奥にある普遍的真理を悟り、そのうえに立って無常の現象を包み込んでいく生き方こそ「大我」に生きるといえましょう。   この「大我」とは、宇宙の根本的な原理であり、またそれは同時に、私達の生命の様々な動きを発現させていく、根本的な本体をとらえた「法」であります。   トインビー博士は、この本体を哲学的用語で「宇宙の究極の精神的実在」と呼ばれておりましたが、それを人格的なものとしてとらえるより、仏教のごとく「法」としてとらえるのが正しいと思うと言っておられました。   この「小我」でなく「大我」に生きるということは、決して「小我」を捨てるということではない。むしろ「大我」があって「小我」が生かされるということなのであります。   文明の発達というのは、人々に執着があり、煩悩があるからこそあるともいえます。もし富への執着がなければ経済の発達はないし、厳しい冬を克服していこうという意志がなければ、自然科学の発達...

核廃絶の信条を訴える「原水爆の使用は、地球の自殺であり、人類の自殺を意味する 」

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「原水爆禁止宣言」 一人一人の心に“平和の炎”を 〈君も立て――若き日の挑戦に学ぶ〉 【「若き日の日記」1957年(昭和32年)11月18日から】 先生の師恩は、山よりも高し。 海よりも深し。忘れじ、われは。 偉大なる師の歴史を世界に示さん。 「原水爆禁止宣言」を発表する第2代会長・戸田城聖先生(1957年9月8日、横浜で)。この歴史的な宣言が、 学会の平和運動の原点となった 原子爆弾だけは許せん 「……核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私は、その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う」 1957年(昭和32年)9月8日、横浜・三ツ沢の競技場で行われた青年部の「若人の祭典」の席上、第2代会長・戸田城聖先生の烈々たる師子吼が轟いた。 「それは、もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります」 この年、世界は東西冷戦下の“分断”の中にあった。「核抑止論」による軍拡によって、核実験が繰り返されていた。 事態を憂慮した戸田先生は、青年への“遺訓の第一”として、「原水爆禁止宣言」を訴えたのである。 戸田先生は、生命尊厳を第一義とする仏法者として、死刑制度には反対であった。それでも、あえて「死刑に」と叫んだのは、原水爆を保有し、使用したいという人間の“己心の魔性”を絶対悪と断じるためだった。 戸田先生の核兵器なき世界への思いは、同宣言の前から一貫していた。 56年(同31年)6月、福岡の八幡市(現・北九州市)では、「原爆などを使う人間は最大の悪人だ!」と叫んだ。宣言の2カ月前の7月、雑誌での対談でも、「原子爆弾だけは許せん。アメリカでも、ロシアでも、どっちであっても、そういうことは断じて許さん」と強く訴えている。 「原水爆禁止宣言」から2カ月後、戸田先生は広島を訪れる予定だった。平和記念公園に立つ広島平和記念館(当時)での決起大会に出席するためである。 しかし、戸田先生の体調をよく知っていた池田大作先生は、広島行きが恩師の命に関わるのではないかと案じた。「師のお身体、極度に衰弱」「おやつれ、甚だし」 (『若き日の日記』、1957年11月19日)。 戸田先生の広島への出発の前日、池田先生は恩師のもとに急行した。 被爆地・広島への思い 「ご無理をなさ...

神秘的な悟りとか仏というものは、真の仏法ではまったくない

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    「仏界」とは苦悩の現実を照てらす太陽 この節では、十界、十界互具という仏法の生命論の基本を簡潔に説明するとともに、万人が仏界という尊極の生命を顕す現実的な方途を、御本尊に対する信心修行として確立したのが、日蓮大聖人の仏法であることを示します。 【池田 SGI 会長の指針】   『生命と仏法を語る』から     瞬間、瞬間に流れゆく生命には、大きくみると十種の範疇がある。これを仏法は「十界」ととらえた。 具体的に言えば、われわれの生命は「六道」、つまり地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界」という境界がある。 そして、「四聖」「声聞」「縁覚」「菩薩」「仏」という、より高次元の境界がある。この範噂を、厳としてもっているのが生命の実相である。 瞬間にあらわれる十界のいずれかの生命は、固定されるものではない。次の瞬間にはまた、十界のいずれかを顕現しゆく。この生命のダイナミズムを、仏法の直観智)が見事にとらえた法理が「十界互具」である。 「観心本尊抄」には、人界所具の九界の姿について、まことに簡潔、明瞭に述べられている。 「数(しばし)ば他面を見るに或時は喜び或時は瞋或時は平に或時は貪り現じ或時は癡(おろか)現じ或時は詭曲(てんごく)なり、瞋(いか)るは地獄・貪(むさぼ)るは餓鬼・癖(おろか)は畜生・詭曲なるは修羅・喜ぶは天・平かなるは人なり」(御書 241 ページ)と。 これらが、それぞれ顕現したり、冥伏したりする。 これは私どもの日常生活でよくみる、またよく感じ、納得できる。 ここで重要なことは、仏法の探究の眼は、尊厳にして無限の力をもつ「仏界」という生命を、いかにして顕現しゆくか、というところにあった。 本来仏道修行と、いうものは、この「仏界」を涌現するためになくてはならない。日蓮大聖人の大仏法は、この一点に凝結され、正しき「本尊」をうちたて、その現実的方途を提示している。 ゆえに、万人が正しき信心修行をなしうるものなのである。 これまでの人類の歴史の結果は、まだまだ六道輪廻の流転を乗り越えていないといえる。「地獄」の「地」とは、最低のものに縛られるという意味である。いかなる時代になろうと、この「縛(ばく)」を切り、人間自身が上昇していくことを最も基本に考えねば、人間と社会の抜本的蘇生への道はない。 仏法は、この泥沼...

幸福を感じるのは外から与えてもらうものではなく、自身の「生命」の変革により実現

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  池田 SGl 会長指導選集 「幸福と平和を創る智慧」 第1部 幸福への指針       第2章     生命変革の原理   私たちが目指すべき「絶対的幸福」は、どうすれば実現できるのでしょう? それは、外から与えてもらうものではありません。自身の内なる「生命」の変革によってこそ実現できると、池田SGI会長は、仏法の法理に即して教えています。 私たちの生命は、善の方向にも悪の方向にも、また幸福にも不幸にも向かう、さまざまな可能性を持っています。苦悩の底に沈むこともあれば、欲望や本能に駆り立てられることもあります。人間らしく穏やかでいることもあれば、苦しんでいる他者を慈しんで手を差し伸べることもあります。 仏法は、さまざまな生命の可能性を探究し、そこに十界という十種の境涯が存在することを明らかにしました。この十界のうちで尊極の可能性を開いた最高の境涯を仏界といいます。 日蓮大聖人は、生命と宇宙を貫く大法を「南無妙法蓮華経」の御本尊として顕し、あらゆる人々が事実として仏界を開いていく方途を確立しました。 この章では、生命変革の原理である十界論の基本と御本尊の意義について紹介します。 御本尊を信じ、題目を唱える実践によって、生命の根底が仏界となり、人生で出合うあらゆる苦悩を自身の境涯を開く糧と転じていける、さらに自分自身にとどまらず、他者の生命の変革を促し、社会の向上と繁栄を築いていけるという大聖人仏法の核心の法理について、池田会長は語っています。 心は「地獄」をも「天国」に変える 自分自身を取り巻く環境がどのように見えるのか。それを決めるのは、その人自身の生命の境涯です。この節では、日蓮大聖人の仏法が、自身の生命の境涯を高め、自身を取り巻く環境を変え、事実の上で、確かなる人生の幸福と社会の繁栄を築き、国土の転換をも可能にする大法で点ることを示します。 池田SGI会長の指針】   和歌山県記念総会でのスピーチから     心というものは、それ自身一つの独自の世界なのだ、—— 地獄を天国に変え、天国を地獄に変えうるものなのだ」(『失楽園』平井正穂訳、岩波文庫)とは、ジョン・ミルトン( 1608 年− 74 年)の...