幸福を感じるのは外から与えてもらうものではなく、自身の「生命」の変革により実現
池田SGl会長指導選集 「幸福と平和を創る智慧」
第1部 幸福への指針
第2章 生命変革の原理
私たちが目指すべき「絶対的幸福」は、どうすれば実現できるのでしょう?
それは、外から与えてもらうものではありません。自身の内なる「生命」の変革によってこそ実現できると、池田SGI会長は、仏法の法理に即して教えています。
私たちの生命は、善の方向にも悪の方向にも、また幸福にも不幸にも向かう、さまざまな可能性を持っています。苦悩の底に沈むこともあれば、欲望や本能に駆り立てられることもあります。人間らしく穏やかでいることもあれば、苦しんでいる他者を慈しんで手を差し伸べることもあります。
仏法は、さまざまな生命の可能性を探究し、そこに十界という十種の境涯が存在することを明らかにしました。この十界のうちで尊極の可能性を開いた最高の境涯を仏界といいます。
日蓮大聖人は、生命と宇宙を貫く大法を「南無妙法蓮華経」の御本尊として顕し、あらゆる人々が事実として仏界を開いていく方途を確立しました。
この章では、生命変革の原理である十界論の基本と御本尊の意義について紹介します。
御本尊を信じ、題目を唱える実践によって、生命の根底が仏界となり、人生で出合うあらゆる苦悩を自身の境涯を開く糧と転じていける、さらに自分自身にとどまらず、他者の生命の変革を促し、社会の向上と繁栄を築いていけるという大聖人仏法の核心の法理について、池田会長は語っています。
心は「地獄」をも「天国」に変える
自分自身を取り巻く環境がどのように見えるのか。それを決めるのは、その人自身の生命の境涯です。この節では、日蓮大聖人の仏法が、自身の生命の境涯を高め、自身を取り巻く環境を変え、事実の上で、確かなる人生の幸福と社会の繁栄を築き、国土の転換をも可能にする大法で点ることを示します。
池田SGI会長の指針】
和歌山県記念総会でのスピーチから
心というものは、それ自身一つの独自の世界なのだ、—— 地獄を天国に変え、天国を地獄に変えうるものなのだ」(『失楽園』平井正穂訳、岩波文庫)とは、ジョン・ミルトン(1608年−74年)の言葉である。ミルトンはシェークスピアと並び称される、17世紀イギリスの大詩人であった。
みずからの心が、「地獄」を「天国」に、また「天国」を「地獄」に変えることができる——このミルトンの言葉は、仏法の一念三千論にも一分通じる、彼の深い思索の一つの到達といってよい。
世界がどう見えるか。また人生がどのように感じられるか。
それは、ひとえに一人一人の境界世界によって決まる。
御書には、「餓鬼は恒河を火と見る人は水と見る天人は甘露と見る水は一なれども果報に随って別別なり」(1025ページ)と仰せである。
同じ恒河(ガンジス川)の水でも、餓鬼道の者には火と見え、人間には水、そして天人には甘露と見える。見る者の果報によって、まったく見え方がちがうのである。
果報とは、過去の業因によってもたらされた、現在の生命境涯である。
その生命のあり方そのものが、外界の世界の見え方、感じ方を決めていく。
同じ境遇でも、幸福を満喫する人がいる。また耐えがたい不幸を感じる人もいる。同じ国土にいても、すばらしき天地としてわが地域をこよなく愛する人もいれば、現在の住処を嫌い、他土ばかりに目を向ける人もいる。
仏法は、その自身の境界世界を高めながら、確かなる幸福と社会の繁栄を築いていくための”法″である。さらに国土自体をも、「常寂光土」へと転換していける「事の一念三千」の”法”なのである
しかも、常住の大法にのっとった福徳、喜びは、決して一時的なものではない。樹木が年々、着実に年輪を増していくように、その福運は生命に蓄積され、三世に薫りを放っていく。反対に、世間的な富や名声、また快楽というものは、一時的にはいかに華々しくとも、はかない刹那のものである。
メモ 一念三千
インドに現れた釈尊の仏法の精髄は、一切衆生の成仏の法理を説いた「法華経」に結実しています。
中国の天台大師(六世紀)は、この「法華経」をもとに、生命の全体像を「一念三千」の法門として体系化しました。「一念」とは、瞬間瞬間の生命、「三千」とは、十界・十界互具、十如是、三世間という、生命を異なった観点から捉えた法理を総合したものです(十界
×十界 ×十如是 ×三世間 = 三千)。
十界とは、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界という十種の生命の境涯です。十界それぞれが十界を具えていることを十界互具といいます。
十如是とは、相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究境等という十界の生命に共通する十種の側面です。三世間とは、五陰世間・衆生世間・国土世間のことで、十界の生命の具体的な存在や活動する環境世界を明かしたものです。
「一念三千」の法門によって、「一念」すなわち瞬間瞬間の生命に、「三千」すなわち全宇宙のあらゆる現象・働きが具わるという、生命と宇宙の全体像が示されました。
日蓮大聖人は、釈尊の「法華経」、天台大師の「一念三千」の法門を踏まえ、自らが覚った生命と宇宙の究極の大法を「南無妙法蓮華経」の御本尊として顕し、万人に生命変革を可能にする実践的な仏法を確立しました。
大聖人の仏法の実践は、自分一人の生命の変革だけでなく、周囲の人々や環境、さらには、全人類の変革をも可能にするものです。単なる理論にとどまるのではなく、徹底して現実の生命と世界の変革を志向するゆえに、大聖人の仏法を、特に「事の一念三千」といいます。
コメント
コメントを投稿