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子どもの基本的人権を保障する同条約の精神は、SDGs(持続可能な開発目標)の「誰も置き去りにしない」の理念と共鳴する。

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  〈SDGs行動の10年 共に未来をつくる〉 東洋大学 森田明美教授 「子どもの権利条約」から考える もりた・あけみ 東洋大学社会学部教授。子どもの権利を基盤とした児童福祉学が専門。 1989年11月に国連総会で「子どもの権利条約」が採択され、今月20日で32年となった。子どもの基本的人権を保障する同条約の精神は、SDGs(持続可能な開発目標)の「誰も置き去りにしない」の理念と共鳴する。長年、同条約の研究を続け、その普及へ行動を重ねてきた東洋大学の森田明美教授に、男女学生部の代表がインタビューした。 どの子にも自分らしく輝いて生きる権利がある 浅川和輝さん(東洋大学4年) 「子どもの権利条約」は、さまざまな人権条約の中で最も多い196カ国・地域で締約されています。日本は1994年に批准していますね。    森田明美教授 「生命、生存および発達に対する権利」「子どもの最善の利益」「子どもの意見の尊重」「差別の禁止」という四つの一般原則が、子どもの権利条約の根源的な理念です。締約国・地域が最も多いのは、それだけ条約に価値があるということです。 「子どもの権利」という言葉自体は、20世紀前半からありましたが、当初は大人が子どもを「保護する」という意味が強い概念でした。保護だけでは限界を感じていた私は、子どもの権利条約を初めて見た時、“子どもが主体”との理念に触れて納得したことを覚えています。    宮本晴美さん(創価大学4年) 条約に込められた精神を教えてください。    森田 環境や経済の問題には先進国と発展途上国で違いがありますが、子どもの課題には“先進”と“途上”の区別はありません。 むろん、国によって文化も宗教も地理も違うため、子どもの課題は国ごとに異なります。ただ共通しているのは、子どもたちは誰もが自分自身の人生を生きる主体であり、どんな子も“自分らしく輝いて生きる権利がある”ということです。 この点が、SDGsの「誰も置き去りにしない」の理念に通じる点だと思います。 子どもたちの置かれている状況は皆、国や地域で、そして各家庭でも違います。 森田 だからこそ、その違いを前提に、同じ“枠”にその子を当てはめるのではなく、その子のありのままに寄り添ってあげることが大切です。   「誰も置き去りにしない」とは、「一人を大切にする」ことだと言えるでしょう。  ...

「宗教」があって「人間」があるのではない。「人間」があって「宗教」があるのである。「人間」が幸福になるための「宗教」である。

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  〈希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉 「魂の独立」㊦ 皆が「仏」! 皆が勝利者 連載「希望の指針――池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を紹介します。今回は、11・28「魂の独立」30周年を記念して、小説『人間革命』『新・人間革命』から世界宗教の要諦について学びます。 画・内田健一郎 【死身弘法の誉れ】 軍部政府の弾圧に屈せず正義貫く 〈1957年(昭和32年)6月初旬のある夜、山本伸一は、学会員への不当な圧迫を開始した北海道の夕張炭労への対策の指示を仰ぐために、恩師・戸田城聖の自宅を訪れる。戸田は広宣流布は権力との闘争であることを述べ、戦時中、軍部政府の弾圧に屈した宗門の歴史について語った〉   一九四三年(昭和十八年)六月、天照大神の神札を祭るように、軍部政府から強要された総本山が、牧口常三郎をはじめ、学会幹部に登山を命じたことに話が及ぶと、戸田の声は震えた。   「あの日、牧口先生と共に、私たちは、急いで総本山に向かった。先生は、来るべき時が来たことを感じておられた。列車の中で、じっと目を閉じ、やがて、目を開けると、意を決したように私に言われた。   『戸田君、起たねばならぬ時が来たぞ。日本の国が犯した謗法の、いかに大なるかを諫める好機の到来ではないか。日本を、みすみす滅ぼすわけにはいかぬ!』   『先生、戦いましょう。不肖、この戸田も、先生の弟子として、命を賭す覚悟はできております』   先生は、大きく頷かれ、口もとに笑みを浮かべられた。   私は、謗法厳誡の御精神のうえから、総本山を挙げて、神札を固く拒否されるものと思っていた。しかし……」   ここまで話すと、戸田は、声を詰まらせたが、ややあって、彼方を仰ぎ見るように顔を上げると、言葉をついだ。   「日恭猊下、日亨御隠尊猊下の前で、宗門の庶務部長から、こう言い渡されたのだ。   『学会も、一応、神札を受けるようにしてはどうか』   私は、一瞬、わが耳を疑った。先生は、深く頭を垂れて聞いておられた。そして、最後に威儀を正して、決然と、こう言われた。   『承服いたしかねます。神札は、絶対に受けません』   その言葉は、今も私の耳朶に焼き付いている。この一言が、学会の命運を分け、殉難の道へ、死身弘法の大聖人門下の誉れある正道へと、学会を導いたのだ」   (中略)戸田の語気は...

詩歌を綴る時、私の思いは、自身の喜び、楽しみはともかく、まず『いかに友を励ませるか』――この一点にあった

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  〈ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史〉第14回 詩心とは「正義の闘魂」の異名なり㊦  インド・チェンナイの創価池田女子大学に、600人の詩人・学術者らが集まった。 2011年12月17日、国際詩人団体「世界詩歌協会」が、池田大作先生の「桂冠詩人」称号の受章から30周年を祝賀する集いを開いた。パドマナーバン会長(当時)は、開幕を告げる挨拶で、高らかに宣言した。 「池田博士の詩は、まさに、あらゆる障壁を乗り越え、世界の民衆詩人として、民衆の心に平和を広めているのです」 祝賀の集いでは71人が登壇し、7時間にもわたって、先生の詩業をたたえる詩が詠まれていった。 1981年、世界芸術文化アカデミーが池田先生に「桂冠詩人」の称号授与を決定した時、同アカデミーの事務総長を務めていた、インドの詩人・スリニバス博士。世界詩歌協会の創立者でもある。2年前の79年7月、先生と博士は初の出会いを刻む。 この時、先生は英文詩集『わが心の詩』を贈った。博士は日本からインドへの帰路、詩集を何度も何度も読み返した。「全身に恍惚にも似た感動が走り抜けるのを覚えた」からである。以来、先生を「エベレストの頂点に立つ詩人」と最大にたたえた。 池田先生への博士の深い尊敬は「桂冠詩人」、さらに「世界桂冠詩人」「世界民衆詩人」と、各称号の授与に結実していった。 池田先生の「桂冠詩人」の称号授与から30周年を祝賀する集い(2011年12月、インドの創価池田女子大学で) 恩師・戸田城聖先生と池田先生との運命的な出会いを彩ったのも、詩歌である。 1947年8月14日、池田先生は小学校時代の同級生に誘われ、座談会に参加。この時、戸田先生は「立正安国論」の講義を行った。終了後、池田先生は戸田先生に「正しい人生とは」「本当の愛国者とは」などと質問した。 その一つ一つに、恩師は明快に答えた。池田先生はその場で、感謝の思いを即興詩に託した。 戸田先生はペンを執ったまま、詩想を巡らせることがあった。同志を励ますため、折に触れて和歌や句を詠んだ。事業が苦境の時や、広布の激戦の時に、池田先生へ詩歌を贈った。 「恩師の詩をいただくたび、私は誓った。恩師の一切を継ぐ志ならば――いつの日か恩師のように、詩歌で励ましを友に贈ることもまた、私に課せられた使命であろう」 「詩歌を綴る時、私の思いは、自身の喜び、楽しみはともかく、まず『...

池田会長は、泥の池に生じながらも美しい花をつける蓮華の例えを用いて言われました。世俗を超越した価値観をもちながらも、世俗の中で生きる。

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  〈創価学会創立の月 記念インタビュー〉 米デンバー大学教授 ベッド・ナンダ博士 「行動する仏教」が社会にもたらす価値 「青年・飛躍の年」である明年へ――創価学会は、創立91周年の「11・18」から新たな船出を開始した。創立の月記念インタビューの第3回では、日蓮仏法の現代的意義や民衆宗教として飛躍する学会への期待などについて、米デンバー大学教授(元副学長)のベッド・ナンダ博士に聞いた。(聞き手=萩本秀樹) 社会変革への熱意 ――創価学会は今月18日に創立91周年の佳節を刻みました。池田大作先生と対談集を刊行され、さらに世界各地のSGI(創価学会インタナショナル)メンバーと出会いを重ねてこられたナンダ博士に、これまでの交流を振り返っていただければと思います。    創立91周年の佳節を祝福申し上げるとともに、創価学会が果たしてきた功績に深く感謝いたします。 私はアメリカをはじめ、インドやカナダ、その他の国々でSGIメンバーと交流してきました。多くのメンバーの、信仰によって人生を開いていく様子を目の当たりにしてきました。 人々の人生にも、そして社会にも、SGIは、どれほど大きな価値をもたらしてきたことかと感銘を深くしています。   池田SGI会長とお会いし、対談できたことを私は光栄に思います。デンバーの私の自宅にも来ていただきました。会長はピアノを弾き、私の娘を喜ばせてくださいました。とても素晴らしい時間でした。 池田会長はオープンで、フレンドリーで、温かな人柄の方です。中でも私が感銘を受けるのは、社会変革への強い熱願です。より良い社会を築くために、会長は、平和とともに文化の発展にも重きを置かれています。会長の著作や写真は素晴らしく、その文化的功績は比類なきものです。   また私は、池田会長の社会変革への熱意が、会長を人生の師と仰ぐSGIのメンバーに継承されていることを実感しています。会長ご自身がメンバー一人一人に対してそうであったように、彼らもまた、互いに励まし、自らができる社会での挑戦を起こしているのです。そうした姿を見ることは大きな喜びです。   というのも、ヒンズー教の聖人は長い間、ヒマラヤに座して瞑想にふけり、悟りに至るものの、積極的に社会に関わろうとしなかった歴史があるからです。 ヒンズー教において社会に関わることが重要視されるようになったのは、1...

2030年へと向かう10年。技術に善悪という二種類の目的があるのではない。技術を用いる人間の心に善と悪がある

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  人間の機械化防ぐ「不軽の振る舞い」 「尊敬」の精神                   ⓒPIXTA 人工知能(AI)は自動運転や物流、医療などで、私たちの暮らしを変え始めている。だが、それは必ずしも生活に益するものばかりではない。   昨秋、アゼルバイジャンとアルメニアとの軍事衝突でAI搭載の自爆ドローンが人間の判断を介すことなく実戦使用された。 すでに米中露は、2030年に向けた「AI兵器」の配備計画を打ち出している。現時点で、そうした兵器を規制する明確な国際ルールはない。   人間の理性から切り離され、暴発してしまいかねない科学技術の舵を人類の利益のために、いかに制御していくか。それは単に、AIの有効活用を促すだけの表面的な精神論では足りない。   核時代平和財団のクリーガー前会長は、「技術に善悪という二種類の目的があるのではない。技術を用いる人間の心に善と悪がある」と語った。   科学技術がもたらす「利便性」とは本来、「自他共を利する」ものであるべきである。 「あらゆる他者」を認め、尊重していく――「尊敬の精神」をインプットしてこそ、AIは医療・介護、防災・防犯、教育、環境保全など、多様な分野で活躍し、暮らしや命を守り支える存在となれる。 「万人尊敬」の精神の実践者として、仏法では不軽菩薩が説かれている。 全ての人の「仏性」を敬う不軽菩薩は、人々から石を投げられ、杖で打たれても、相手を尊敬する礼拝行を続けた。   御聖訓には「不軽菩薩の人を敬いしは・いかなる事ぞ教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」(御書1174ページ)とある。   この不軽菩薩の振る舞いを、「現在」を生きる「自分自身の実践」としてよみがえらせたのが、私たち創価学会の運動である。   万人に仏性の存在を信じ、開かれた対話によって、妙法を弘めていく。相手への尊敬があるからこそ、丁寧にまた真剣に語り合い、仏縁を結び続けている。 対話を通して、「利己」から「利他」へと生き方を転換し、一人一人の生命の変革――「人間革命」に挑戦している。ここにこそ、人間の生命に潜む慢心やエゴを乗り越えていく萌芽がある。   池田先生は語られた。「私どもSGIの行動は、大聖人の“太陽の仏法”で全人類を照らしゆく一大『民衆運動』『人間主義運動』である。 どこまでも人間として、人間とともに、人間のために、...