日蓮大聖人は「御義口伝」で皆が平等に、凡夫のままの姿で成仏できる――これ以外の「秘密」の力、「神通」の力はないのです

 

〈ロータスラウンジ――法華経への旅〉第21回 如来寿量品第十六㊤






  • 永遠の生命を信じ
  • 生きて生きて生きぬくのが寿量品の心

法華経について、皆で学び、深めよう――「ロータスラウンジ――法華経への旅」の第21回は、「如来寿量品第十六」㊤です(前回は11月28日付。原則、月1回掲載)。

■大要

「従地涌出品第十五」での弥勒菩薩の質問に対して、「如来寿量品第十六」では、釈尊の真実の成道が久遠の昔であること(久遠実成)を明かし、常に娑婆世界で衆生を導いてきたと述べます。
 さらに「良医病子の譬え」を通して、仏が入滅を現じるのは衆生を教え導くための方便であることを語ります。それでは内容を追ってみましょう。

 ◇ 

その時、釈尊は、菩薩や一切の大衆に告げます。
「如来が語る真実の言葉を信じ、理解しなさい」
再び大衆に呼び掛けます。
「如来が語る真実の言葉を信じ、理解しなさい」
さらに重ねて大衆に語ります。
「如来が語る真実の言葉を信じ、理解しなさい」
この時、菩薩や大衆は、弥勒菩薩を先頭に、合掌して仏に言います。
「どうか、如来の真実を説いてください。私たちは、仏の言葉を信じ、受持します」
この言葉を3度繰り返し、さらに重ねて願います。
「どうか、如来の真実を説いてください。私たちは、仏の言葉を信じ、受持します」
その時、釈尊は、菩薩たちが懇願を止めないことを知り、告げます。
明らかに聴きなさい。如来の秘密、神通の力を」
そして続けて語ります。
「天界、人界、修羅界の衆生は、“今の釈尊は、王宮を出て、伽耶城から遠くない道場で修行し、阿耨多羅三藐三菩提(仏の完全な覚り)を得た”(始成正覚)と思っている。

しかし私は“実に成仏してから、無量無辺百千万億那由他劫という長遠の時を経ている”(久遠実成)」

釈尊は本来の境地を明かします。始成正覚という仮の姿(迹)を発いて、久遠実成という真実の姿(本)を顕したので、「発迹顕本」といいます。

続いて釈尊は、“どれほど長遠の昔に成仏したか”、すなわち久遠を譬喩によって表現します。

「譬えば、ある人が、五百千万億那由他阿僧祇という無数の三千大千世界をすり砕いて細かい塵とし、その塵を持って東の方へ行き、五百千万億那由他阿僧祇という無数の国を過ぎるごとに、その塵を一粒ずつ落としていく。

このように、東へ行き、この塵を全て落とし尽くしたとする。この間に通り過ぎた世界の数は、どれほどあると思うか。その数を知ることができるだろうか」

弥勒菩薩たちが、釈尊に言います。
「今語られた世界の数は、無量無辺で、計算して知ることもできません。また、心の力も及びません。

一切の声聞や縁覚、そして不退の位にいる菩薩であっても知ることができず、ただ無量無辺としか言えません」

その時、釈尊は、菩薩や大衆に告げます。
「今まさに、はっきりと語ろう。
この多くの通り過ぎた世界、すなわち細かな塵を置いた世界も、置かなかった世界も、ことごとく、また砕いて塵とし、その一粒の塵を一劫(劫は、計りがたい長遠な時間の単位)として数えよう。

私が成仏してから、現在に至るまでの時間は、また、これよりも百千万億那由他阿僧祇劫も多いのだ」(ここで表現された久遠の時を、最初にすりつぶす五百千万億那由他阿僧祇の三千大千世界にちなんで「五百塵点劫」といいます)

さらに釈尊は、如来の真実を説いていきます。
「私は、久遠の昔に成仏して以来、常に、この娑婆世界で人々に法を説き、教え導いてきた。

他の百千万億那由他阿僧祇という無数の国土でも衆生を導き、利益してきた」
具体的に、過去の振る舞いを述べます。
「(久遠の昔から今に至るまでの)この中間において、私は燃灯仏などのことを説き、また、涅槃に入るとも言った。このようなことは、全て方便を用いて説いたことである」

なぜ、方便を用いたのか。

「私は仏眼によって、衆生の信や機根が鋭いか鈍いかを明らかに見て、救うべきやり方に従って、それぞれの所において、自ら異なった名前や種々の寿命の長さを述べ、『まさに涅槃に入るだろう』と言い、種々の方便を用いて如来の真実の妙法を説き、よく衆生に歓喜の心を起こさせてきた」

「多くの衆生が、低い教えを好み、徳が薄く、煩悩の垢が重いのを見て、『若い時に出家し、初めて無上の覚りを得た』と説いた。衆生を仏道に教え導くために、方便として説くのだ」

「如来が説く教えは全て、衆生を救い覚らせるためである。
“あるいはわが身を説き、あるいは他の身を説き、あるいはわが身を示し、あるいは他の身を示し、あるいは自分の事を示し、あるいは他人の事を示す”」

「このようにして説く全ての教えは真実であって、ウソではない。その理由は何であろうか。

如来は如実(あるがまま)に三界(衆生が生死流転する現実世界)の相を知見しているからである。

生や死というが、この三界から退き去ることも、この三界に出現することもない。また世に在る者、滅度した者という区別もない。

この三界のありさまは、真実でもない。だからといって虚妄でもない。“このようである”ということもない。“このようではない”ということもない。

如来は、三界を、三界の衆生が見ているようには見ていない。如来は三界を明らかに見ていて、誤りがないのである」

「衆生には、さまざまな性質、欲求、行い、観念や判断の違いがあるから、全ての衆生に全ての善根を生じさせようと望んで、多くの因縁、譬えや言葉を用いて、さまざまに教えを説くのである。
その仏の行いは、いまだかつて瞬時も止まったことはない」
(㊥に続く)

【『法華経の智慧』から】 この一生を勝利

生きるか死ぬかという瀬戸際に、人間として何を語れるのか。そこに真の「哲学」がある。

 ◇ 

人生は長い。晴天の日だけではない。雨の日も、烈風の日もある。しかし何が起ころうと、信心があれば、最後は全部、功徳に変わる。

戸田先生は言われていた。「信心さえあれば、ことごとく功徳なのだよ。信心なくして疑えば、すべて罰だよ」と。

「永遠の生命」を信じて、この一生を生きて生きて生きぬいていくのです。この一生を勝利しきって、その姿でもって「永遠の生命」を証明するのです。それが法華経です。寿量品です。

何があろうと、生きて生きて生きぬくのが「寿量品の心」なのです。

 ◇ 

大生命力で生きぬくことです。永遠にして宇宙大の「大いなる生命」の実在を明かしたのが寿量品です。

その「大いなる生命」を、現実の我が身のうえに顕していくのが寿量品の実践です。
(普及版<中>「如来寿量品」)

【コラム】秘密と神通力――人を救う智慧と力

「如来寿量品」で釈尊は、「汝等よ。諦らかに聴け。如来の秘密・神通の力を」(法華経477ページ)と、弟子たちに宣言します。

秘密は何か特別なもの、神通力は超能力のようなものを想像させます。しかし、誰も知らないようなことを知っていたとしても、超人的な力をもっていたとしても、それだけで幸福が決まるわけではありません。

法華経での秘密と神通力は、一切衆生を成仏へ導くために現じてきた仏の偉大な力と深い智慧のことです。人を救う力です。

日蓮大聖人は「御義口伝」で「成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり」(御書753ページ)と仰せです。皆が平等に、凡夫のままの姿で成仏できる――これ以外の「秘密」の力、「神通」の力はないのです。

ゆえに大聖人は、御本尊を顕され、誰もが実践できる唱題行を確立し、自他共の幸福の大道を開かれたのです。いわゆる神秘主義とは対極にあるのです。

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多くの仏教経典があるなかで、差別なく、一人も残らず成仏できると説いているのが、法華経です