六根「眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根」が清浄になるってどういうこと?

 

〈みんなで学ぶ教学〉 六根清浄の功徳

  • わが生命を根源から輝かせる
人生100年時代 画像
マンガ・イラスト 逸見チエコ


今回の「みんなで学ぶ教学」は、「六根清浄」の功徳がテーマです。信心に励んでいくことで、得られる功徳について学んでいきましょう。新入会のカツヤくんは、いつも通っている道で、ゴミを拾って清掃してくれている人を見掛けたようです。

ユタカ おや、カツヤくんじゃないか、キラキラした目をしてどうしたんだい?
  
カツヤ さっき、この道の清掃をしてくれている人の姿を見掛けたので、ありがたいなと思って感動していました。
  
ユタカ その人なら、ずっと以前からこの道や周辺を清掃してくれていたよ。気付かなかったのかい?
  
カツヤ え! 本当ですか? なんで今まで気が付かなかったんだろう……。
  
ユタカ 信心に励むようになって、カツヤくんの世界の見え方が変わったのかもしれないね。仏法で説く「六根清浄」の功徳を思い出したよ。
  
カツヤ 「六根清浄」ですか。初めて聞きました。どのような法理ですか。
  
ユタカ まず、「六根」とは、「眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根」のことで、見たり、聞いたり、心で思ったりする生命の働きのことなんだ。世界がどう見えて、どう思うか、ということともいえるね。
  
カツヤ なるほど。
  
ユタカ たとえば、“おなかがすいたなあ”と思って歩いていたら、飲食店にばかり目がいくよね。同じ景色、同じ香り、同じ味でも、感じ方は、その人の生命状態で変わるんだ。「六根」が清らかになっていくと、正しい認識・判断・行動ができるようになる。それが「六根清浄」なんだ。
  
カツヤ たしかに、おなかが減っていた時、気付いたら“どのラーメン屋さんに行こうか”とばかり考えていたことがあります。もしかして、「舌根」が清らかになれば、何を食べてもおいしく感じたり、びっくりするほど歌がうまくなったり……。
  
ユタカ 歌は練習しないとうまくはならないよ(笑)。
「六根清浄」が説かれる法華経の法師功徳品第19は、法師(仏法を行じ、弘める人)の功徳を明かしているんだ。今でいえば信心に励んでいる学会員が得る功徳のことだよ。

日蓮大聖人は「功徳とは六根清浄の果報なり」(御書762ページ)と教えられている。

つまり、信心に励む中で、自然と「六根」が清らかになり、日々の生活の中で感じることや、現実社会の見え方がより良く変わっていくんだ。

カツヤ もしかしたら、唱題に挑戦しているから、今まで気付けなかった清掃してくれている人に、意識が向くようになったのかもしれません。僕の見た目はあまり変わったようには見えないんですが……。
  
ユタカ 見た目の問題ではないよ。「六根清浄」は、境涯の変革を説いているんだ。

池田先生は「仏道修行の苦労に無駄はない。全てが、わが生命を根源から清らかに輝かせる光明となる。どんな苦難も悠々と乗り越える力が湧いてくる。大宇宙を闊歩できるような自在の大境涯が開かれてくる。これが『六根清浄』の功徳であり、『人間革命』の実証である」と語られているんだ。

自分の境涯が変わっていけば、同じような日常でも輝きが増していく。逆境に直面した時、それを楽しんで乗り越えていくべき使命と捉えられるんだ。広布に励む中で、“絶対的幸福境涯”を開いていくことができるんだよ。
  
カツヤ なんだか、学会活動に挑戦することがとても楽しみになってきました。今度、道をきれいにしてくれている人に感謝を伝えようと思います。
  
ユタカ 気付かなかった状態から、感謝しようと変わったことはすごい変化だね! 信心に励んでいくことで、人生はもっと豊かで、喜びにあふれたものとなっていくよ。それが「六根清浄」の功徳なんだよ。

2021年3月6日

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