平均寿命と健康寿命が世界一の日本人はどうすれば「幸齢」に?

 

〈危機の時代を生きる――創価学会ドクター部編〉第5回 「老」と歩む人生

コロナ禍は、「生老病死」という問題に、人類がいかに立ち向かうべきかを投げ掛けている。「危機の時代を生きる――創価学会ドクター部編」の第5回は、「生老病死」の「老」がテーマ。関西福祉科学大学健康福祉学部教授の中村敏子さんが「『老』と歩む人生」と題して執筆した寄稿を紹介する。



自粛生活が与える影響

人生100年時代といわれる昨今。医療の進歩などにより、日本人の寿命は、年々延びています。
 
本年、WHO(世界保健機関)の統計では、「平均寿命」は84・3歳(男性は81・5歳、女性は86・9歳)と、世界で最も高いことが発表されました。平均寿命から寝たきりや認知症などの介護状態の期間を差し引いた「健康寿命」も延びており、74・1歳(男性は72・6歳、女性は75・5歳)と、これもまた世界一です。
 
しかし、新型コロナウイルス感染症の流行によって自粛生活が続くことで、今後、この健康寿命に影響が及んでしまうことが、多くの専門家から指摘されています。その中にあって、一人でも多くの方々が健康長寿の人生を歩んでいけるよう、どう「老い」と向き合うべきかについて考えたいと思います。

細胞レベルの老化

まず、なぜ老化が起こるのかについて、細胞レベルから説明します。
 
私たちの身体を構成する一つ一つの細胞は、さまざまな要因で傷つき、そのたびに新しく分裂した細胞と入れ替わっています。しかし、その分裂も50回程度繰り返すと、それ以上、分裂できなくなることが知られています。若い頃は、細胞が頻繁に入れ替わるので、組織としての機能を保てるのですが、加齢とともに分裂が限界に達し、取り換えることができなくなると、組織の機能も低下してしまうのです。これが老化です。
 
分裂のスピードには個人差があり、たとえ同じ日に生まれた人でも、年相応に見える人もいれば、年齢より若く見える人もいます。また、そのスピードは、臓器などによっても変わります。ですので、見た目は若くても、臓器の一部では老化が進んでいるということもあるのです。
 
そうした違いを生む要因の一つが、活性酸素の存在です。
 
活性酸素は、細胞を酸化、つまりさびさせるものですが、その活性酸素が体内に蓄積してしまうと、細胞の入れ替わるスピードが早まってしまうのです。この活性酸素は、呼吸をした際に吸い込む酸素の一部から生じることもありますし、たばこや車の排気ガス、紫外線や心的ストレスなども活性酸素の蓄積を誘発することが分かっています。
 
生きている以上、呼吸をやめることはできませんが、喫煙を控えたり、抗酸化成分が含まれる果物や野菜などを食べたり、軽めの運動で体内に備わる抗酸化作用を増進させたりと、私たちの生活次第で活性酸素を必要以上に生じさせないことはできます。

感染対策に留意し健康守る心掛けを

近年では、こうした生活習慣の違いで、一人一人の健康寿命に差が出ることも知られています。私は以前、国立循環器病研究センターで高血圧や動脈硬化などの患者さんを診てきましたが、その中で感じたのも、そうした病態に一人一人の生活習慣が深く関係しているということでした。
 
また、感染症や事故などで亡くなられる方を除いて、多くの方が死亡する要因となっているのは、喫煙や高血圧、低い身体活動、高血糖、高い食塩摂取など、生活習慣と結び付くものが主であると考えられています。生活習慣は、老化や病を引き起こすだけでなく、死亡するリスクにも直結しているのです。
 
だからこそ、コロナ禍による自粛生活の中でも、感染対策に留意しつつ、バランスの良い運動、睡眠、食事を心掛けていただきたいと思います。


運動で言えば、「老化は足から」という言葉もあります。体内で最も大きな筋肉が脚にあるため、歩く速度の低下などで老いを感じやすいことが理由です。加えて自宅にこもりっぱなしだと、筋力はすぐに衰えてしまいます。

 
その上、運動不足は睡眠にも影響を与えます。年を取り、寝付きが悪くなったと言う人がいますが、この原因の多くが日中の活動量の少なさに起因します。良質な眠りには、日中に太陽の光を浴びることで体内に作られるメラトニンや、運動による、ほどよい疲れが不可欠です。
 
運動しない間に失ってしまった筋肉を元に戻すには、その3倍もの時間が必要という調査もありますので、日頃から定期的な運動を取り入れていただきたいと思います。
 
また、私は現在、大学で食生活と健康に関する研究を行っていますが、減塩意識も大切だと感じます。塩分の取り過ぎは高血圧の原因となります。高齢になるほど塩味を感じにくくなることから、無意識のうちに塩分過多になりやすいのですが、調理の際は量って入れるなど、摂取量を調整することが健康長寿につながりますので、ぜひ、実践してみてください。

「老いの苦しみ」と向き合う

さて現在、メディアなどでは、健康長寿のための食事法や運動法などが盛んに取り上げられています。その一方、老化を防ぐ「アンチエイジング」という言葉が象徴するように、老いそのものをネガティブに捉える風潮もあると感じるのは、私だけでしょうか。
 
そもそも、誰人であれ、老いを遅らせることはできたとしても、老いそのものからは逃れることはできません。
 
年を重ねれば、白髪やしわが増え、腰が曲がるなどの外見の変化が起きます。身体能力も衰え、走れなくなったり、目や耳が悪くなったりすることもあります。内臓機能の低下で、さまざまな疾患が生じることもあるでしょう。
 
 また、平均寿命と健康寿命の差が縮まってきているとはいえ、現在でも10年ほどの差があります。
 
「老」を含め、生老病死の四苦は、釈尊が出家するきっかけとなった出来事であり、人生の根本問題です。この「老いる苦しみ」に目を背けていては、最期まで充実した「生」を歩んでいくことはできないと思うのです。

「苦しみ」を「楽しみ」に変えるために

なぜ、「老い」が「苦しみ」となってしまうのでしょうか。
 
私はそこに、失う苦しみがあるからだと考えます。
 
足腰が悪くなれば、行きたい場所があっても自由に行くことはできません。骨ももろくなるので、少しの段差であっても骨折する危険もあります。そうした中で、若い頃には“できていた”ことが“できなくなってしまう”という喪失感が、苦しみの原因となるのではないかと思うのです。
 
しかし、目線を変えれば、失うものばかりでなく、実際には得られるものもあります。それは経験や知識、そして、そこから生まれる対応力です。
 
私も医師になりたての頃は、今まで接したことがない症例の患者さんを診るたびにうろたえ、目の前のことに精いっぱいで、意見の異なる同僚と衝突することもありました。しかし、経験を重ねる中で心に余裕が生まれ、どんな患者さんでも冷静に診察でき、同僚の意見も受け入れられるようになっていきました。そうしたことから生まれる充実感は、年を重ねなければ、得られなかったと思います。
 
年とともに、身体的な衰えという、いわば目に見える変化を感じる一方、人生経験や精神的な成長を重ねなければ見えないものもあります。そうした目には見えないものの中に、若い時には得られなかった新しい発見があり、感動があるものです。だからこそ、いくつになっても挑戦の心を持ち、新しい発見や新たにできることを増やしていく。そこに「老い」を「苦しみ」ではなく、「楽しみ」にするヒントがあると感じるのです。
 
幼い頃は、年を重ねることが楽しみだった人も多いと思います。それは年齢とともに成長を感じ、まさに、できることが増えていく喜びがあったからではないでしょうか。


いくつになっても脳は発達

実は、人間には年を重ねると衰えてしまう部分がある一方、心掛け次第で衰えないものもあります。それは脳です。
 
よく老化によって物忘れが激しくなったという声を聞きますが、それは認知機能が低下したのではなく、不注意であることが往々にしてあります。人間の脳は、なるべく全体に負担をかけないよう、無意識にできることは無意識に行うようにつくられています。長い間、生きていれば、同じような動作も多くなるので、その分、無意識に行ってしまうのでしょう。
 
厳密に言えば、脳細胞も老化を避けられないので、年とともに脳も萎縮し、機能が衰えることも事実ですが、近年の研究では、そうした中でも脳は新しい神経回路をつくり、いくつになっても機能を高められることが分かってきました。脳は刺激を与えた分だけ、発達し続けるのです。
 
だからこそ、いくつになっても、若々しい気持ちで、挑戦していく心を忘れないことが大切なのです。

後悔しない挑戦の日々を

挑戦する心は、幸福感を得ていく上でも重要です。
 
ある調査では、高齢期の幸福感を大きく左右するのは「後悔」であることが分かっています。これは、挑戦して失敗したという後悔ではなく、チャンスがあったのにやらなかったという後悔です。
 
年齢を重ねるほど、やり直す機会も限られます。“私は勉強が苦手だ”とか、“この資格を取得するには遅い”とか、さまざまな感情もあると思いますが、やりたいことに挑戦できるチャンスがあるのなら、やってみることです。
 
実は、こうした心の持ち方が、身体に変化を与えることが分かってきました。
 
研究では、挑戦の息吹を失わず、やりがいを持っている人は、健康状態も良いことが明らかになっています。私自身、医療現場で患者さんを診ていても、将来に希望を抱いている人と、半ば諦めの心を持つ人とでは、治療への取り組み方も、その結果も大きな違いが生まれると感じます。
 
その上で、挑戦する内容の一つとして、地域とのつながりを築こうとする努力も入れていただきたいと思います。
 
800人を70年間追い続けた研究では、高齢期の幸福感は「人のつながり」と深く関わっていることが分かりました。また、地域や友人とのつながりの多い人は、認知症の発症リスクが低いことも知られています。
 
友情を育むことは、幸福感を高めるだけでなく、健康にもつながるのです。

学会の活動に長寿の智慧が

そうした点を踏まえると、創価学会の活動には、健康長寿の智慧が詰まっていると思えてなりません。
 
御書に「年は・わかうなり」(1135ページ)、「月月・日日につより給へ」(1190ページ)とある通り、学会員は、常に新しい目標を掲げ、挑戦の息吹にあふれています。
 
最近では、コロナ禍の中でオンラインの集いが行われるようになりました。家族や同志に教えてもらい、これまで苦手意識を持っていたスマートフォンの操作を学び、参加できるようになった方も多くいらっしゃいます。
 
また、同志と励まし合いながら、地域とのつながりを築き、深める挑戦を続ける方もいます。地域のため、周囲の友のために歩くことは、筋力低下を防ぐ上で極めて有効です。話すことは、口腔機能や心肺機能を保つことにつながり、友の幸福を願って手紙を書くことは、認知機能の衰えを防ぎます。
 
そして、学会には、老若男女が集う座談会があります。世間を見渡しても、生まれたばかりの赤ちゃんから高齢世代までが、一堂に会する機会などありません。そうした集いが定期的に行われ、高齢の方々にとっては、いつまでも若々しい気持ちでいることができます。
 
何より、多宝会の大先輩は「長寿にして衆生を度せん」(法華経505ページ)との誓願のままに、いくつになっても笑顔を絶やさず、たとえ足が悪くなっても口があると、どんな状況に置かれても前を向いて広布に尽くされています。
 
そうした姿は、“釈尊を25歳の青年とすれば、まるで人生経験豊かな100歳の人のよう”と記された「地涌の菩薩」そのものであり、ここに老いを楽しみに変える生き方があると痛感せずにはいられません。
 
心が老いなければ、人は永遠に向上していける――この確信で、私自身、挑戦の心を失わず、同志と共に、老いを楽しんでいきたいと決意しています。

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