国連が掲げるSDGs(持続可能な開発目標)の基本理念は、「誰も置き去りにしない」。「人間」への温かなまなざしは、大乗仏教と深く共鳴している。

 

〈共生の地球社会へ~仏法の英知に学ぶ〉 テーマ:貧困問題






登場人物

【ミライさん】好奇心旺盛な女子部員。世の中の出来事について、父・ホープ博士と語り合うことを楽しみにしている。
【ホープ博士】勉強熱心な壮年部員。毎月1回、家族と一緒に教学を研さんしている。「博士」はニックネーム。本業は会社員。

現実を見つめ、行動の一歩を

ミライ 東京オリンピック開会式で、バングラデシュの経済学者ムハマド・ユヌス氏に「オリンピック月桂冠賞」が授与されたね。

アスリートを支えるなど、スポーツ界での社会貢献活動が評価されたようね。氏は、貧困問題でも知られているね。
  
ホープ 世界最貧国といわれ、大飢饉で苦しむ祖国の窮状を目の当たりにしたユヌス氏は、貧しい人々の自立を促すために、少額の資金を無担保で融資する取り組みを始めたんだ。その資金を元手に技能を生かした仕事が新たに生まれ、所得が創出されるようになったんだよ。
  
ミライ ユヌス氏と、氏が創設した銀行は、貧困軽減に大きく貢献したとして、2006年(平成18年)にノーベル平和賞を受賞したよね。
  
ホープ 今でも世界人口の1割に当たる、約7億人が1日1・9ドル(約207円)未満の生活を強いられているんだよ(2021年2月現在)。


住む家がなかったり、食料が買えなかったりするなど、生きていくために必要最低限の生活ができない状態を「絶対的貧困」というんだ。

こうした極度の貧困に苦しむ人の割合は、1990年に比べ3分の1以下まで減少してきたけど、まだまだ深刻なんだ。

人権の究極の否定

ミライ 国連が進めるSDGs(持続可能な開発目標)では、2030年までに世界中で極度の貧困にある人をなくすことや、さまざまな次元で貧困ラインを下回っている人の割合を半減させることを目標にしているよ。

けれども、“コロナ禍の影響で、貧困撲滅の目標達成は困難な状況”と報道されているね。
  
ホープ さらに、地域差なども課題なんだよ。特にサハラ以南のアフリカ地域や南アジアが深刻で、極度の貧困状態で生活している人の8割を占めているんだ。また、女性は男性と比べて雇用の機会も少ないから、貧困状態に陥りがちだ。
  
ミライ そうした地域では、農業を主な収入源としている人が多いから、気候変動や自然災害の影響を受けてしまうと、さらに貧困は深刻化してしまう。紛争や難民、教育問題などにも、貧困は影響しているよね。
  
ホープ ユヌス氏は「貧困は運命をコントロールしようとするあらゆるものを人々から奪うため、人権の究極の否定になる」(『貧困のない世界を創る』猪熊弘子訳、早川書房)と述べているよ。

これは大切な視点だね。貧困は人間から、幸福になるチャンスどころか、生きる希望をも奪ってしまうことが、根本的な問題なんだよ。
  
ミライ 当然ながら具体的な政策や取り組みも一層求められるけれど、一人一人の“心の変革”も大切だよね。



ミライさん㊧とホープ博士
平和を願う心

ホープ ここで、釈尊の出家の動機とされる「四門遊観」の説話を学ぼう。
――王族として裕福な暮らしをしていた釈尊が、城門から出た時に目にしたのは、病や老いを抱えて苦悩する人々や、道端で亡くなっている人の姿だったんだ。釈尊は、人は誰しも生老病死の苦しみから逃れられないことを感じたんだよ。

池田先生は、多くの人が生老病死の苦しみを“今の自分とは関係がない”と捉えて、苦悩する人々しょうを忌み嫌うことに、釈尊は胸を痛めたのではないかと、鋭く考察されたんだ。
  
ミライ 釈尊の慈悲が感じられる話だね。
  
ホープ 先生は続けて、次のように語られているよ。
「釈尊が洞察した、老いや病や死を自分に関係がないものとして厭い、苦しみを抱える人に冷たく接してしまう心理――。それはまた、貧困や飢餓や紛争で苦しんでいる人々を、自分が直面する問題ではないからと意識の外に置いてしまう心理と、底流において結びついているのではないかと思えてなりません」(第44回「SGIの日」記念提言)
  
ミライ 世界で何が起こっているのか、人々がどのように苦しんでいるのか、自分から知る努力をしないといけないね。つらい現実から目を背けたままだと、“自分さえ良ければ……”といったエゴイズムに陥ってしまいかねないんだね。
  
ホープ 日蓮大聖人は、「自身の安心を考えるなら、あなたはまず社会全体の静穏を祈ることが必要ではないのか」(御書31ページ、通解)と、自分の安らぎのみを願うのではなく、民衆が生活を営む基盤である社会の安定を呼び掛けられているよ。
  
ミライ 社会を離れて、仏法はないんだね。
  
ホープ その通りだよ! 「自分だけの幸福もなければ、他人だけの不幸もない」との先生の言葉を心に刻んで、世界の平和と安定を願う“心”を一人一人の胸中に確立していくのが仏法者の生き方なんだよ。世界の安穏を祈る心は、現実を直視する勇気となり、そこから解決への「行動の一歩」が生まれるはずだよ。

御文

汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か(立正安国論、31ページ)

メモ

日蓮大聖人が、民衆の幸福と社会全体の静穏、世界平和を願われ、認められたのが「立正安国論」です。

その中で、民衆が生きる基盤となる社会の安穏を祈ることを教えられています。

そこには、自分だけの幸福や安全も、他人だけの不幸や危険もないという仏法の哲理が輝いています。

混迷の時代を変革するために、「自他共の幸福」を願うのが仏法者の姿勢なのです。

[コラム:“いま”を知る]誰も置き去りにしない

ある大乗仏典には、勝鬘夫人という女性が、釈尊に誓いを述べる場面が描かれている。「私は、孤独な人、不当に拘禁され自由を奪われている人、病気に悩む人、災難に苦しむ人、貧困の人を見たならば、決して見捨てません。必ず、その人々を安穏にし、豊かにしていきます」。彼女は生涯、苦悩にあえぐ人のために、行動し、誓願を貫いた。

池田先生は「国連を支援することは、勝鬘夫人に象徴される菩薩道的生き方の一つの帰結」と述べている。国連が掲げるSDGs(持続可能な開発目標)の基本理念は、「誰も置き去りにしない」。国家の枠を超えた一人の「人間」への温かなまなざしは、大乗仏教と深く共鳴している。

国連は、人間の尊厳を脅かす紛争や飢餓など、地球規模の課題を解決するために創設された。生命尊厳の妙法を持つ私たちは、国連を中心とした市民社会の連帯を広げるべく、これからも草の根の活動を推進していく。

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