「ベートーヴェンの第九」不幸な貧しい病身な孤独な一人の人間、まるで悩みそのもののような人間、世の中から歓喜を拒まれたその人間がみずから歓喜を造り出す

 

VOD新番組に収録された池田先生の指針――さあ大歓喜の交響曲を!

  • 真実の幸福は全てに勝つこと
  • 苦悩を突き抜けて偉大な境涯を開け

池田先生のスピーチを収録した新番組「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ!」が、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)に追加された。内容は、1990年11月に行われた、学会創立60周年の「11・18」を記念する本部幹部会でのスピーチである。明「青年・飛躍の年」へ、新たな出発を期す友への指針として、スピーチの要旨を掲載する。


1990年11月に行われた本部幹部会でスピーチする池田先生(巣鴨の東京戸田記念講堂で)

ベートーベンがこの「よろこびの歌」で知られる「第九交響曲」を作曲したのは1824年。日本では江戸時代末期となるが、それは死の3年前、53歳の時である。完成した最後の交響曲となった。
 
「第九」は「合唱付」として有名だが、当時、合唱付きの交響曲は他に例がなかった。
 
いわばベートーベンの“新思考”によって、新しき挑戦によって、人類に贈られた作品である。


ルートウィヒ・バン・ベートーベン=共同

合唱部分で歌われる「歓喜の歌」は、ベートーベンと同時代を生きたドイツの大詩人シラーの詩「歓喜に寄す」に曲をつけたものである。
 
“人類愛”と“平和”と“喜び”にあふれる、この詩に曲をつけようと彼が決めたのは、22、23歳のころといわれる。
 
彼は、この夢をいだき続け、育て続けた。そして、約30年後に実現させた。
 
青春の決意を見事に結実させたのである。
 
よく知られているように、そのころベートーベンの耳は、ほとんど聞こえなくなっていた。
 
「第九」の初演の際、聴衆の万雷の拍手も彼の耳には届かず、教えられて、初めて人々の大歓声に気づき、お辞儀をした――という話も伝わっている。



創価大学の第9回「第九」演奏会で圧巻の演奏・合唱を披露した出演者に、大拍手を送る池田先生ご夫妻(1999年12月、創価大学の池田記念講堂で)

フランスの文豪ロマン・ロランは、「第九」を、嵐の生涯に打ち勝ったベートーベンの「精神(エスプリ)の凱歌」と位置づけている。
 
「不幸な貧しい病身な孤独な一人の人間、まるで悩みそのもののような人間、世の中から歓喜を拒まれたその人間がみずから歓喜を造り出す――それを世界に贈りものとするために。彼は自分の不幸を用いて歓喜を鍛え出す」(「ベートーヴェンの生涯」片山敏彦訳、『ロマンロラン全集』14所収、みすず書房)と。
 
そして「悩みをつき抜けて歓喜にいたれ!」(同前)とのベートーベンの言葉に、彼の全生涯がこめられているとロランは結論している。

耳も聞こえない。保守的な旧社会の人々からの圧迫もある。妬みもある。病気や経済的・家庭的悩みも尽きない――しかし彼は負けなかった。
 
 戦った。
 
 そして勝った。
 
あらゆる苦悩の暗雲をつき抜けて、雲上の晴れわたる青空のごとき“歓喜の境涯”にまで自身を高めた。
 
「第九」は、そうした人間ベートーベンの人生最終章の勝利の証しである。
 
仏法もまた“勝負”である。勝負である以上、当然、敵もいる。
 
困難につぐ困難もある。
 
しかし、それら一切に勝ちきってこそ、真実にして永遠の幸福はある。
 
広宣流布もある。
 
ゆえに「断じて勝利を!」と、私は声を限りに訴えたい。


戸田先生“我らは最高に「富める者」”

さて、昭和18年(1943年)、軍部の弾圧により、牧口先生と戸田先生が投獄された東京拘置所は、東京戸田記念講堂が建つここ巣鴨にあった。
 
そして翌昭和19年11月18日、牧口先生が73歳で逝去されたのも、この地である。(=東京拘置所の病監)
 
昭和19年8月、当時44歳の戸田先生が、巣鴨の獄中から夫人のお父さまにあてた手紙に次の一節がある。
 
「どうか強く生きていて下さい。(中略)今どんなに苦しくても貧しくても、私の生きている限り、『富める者』との自信を失わずにいて下さい」
 
国全体が混乱の渦中にあった時代である。激しさを増す空襲。ご子息も疎開。ましてご自分は獄中の身である。
 
だが、先生のこのご確信はどうか。――“われ、永遠に富める者なり”“われに連なる者も皆、富める者なり”と。
 
信仰こそ最高の「富」である。
 
信仰者は、苦難があるほど、より力を出せる。周囲をも幸福にしていける。絶対に動ずることがない。
 
皆さまもまた、仏勅をこうむった方々である。尊貴なる地涌の一門である。
 
「自分がいる限り、何の心配もいらない」「自分こそ、最高に『富める者』である」との気概で、この人生を強く、また強く生きぬいていただきたい。

私は毎日、大切な皆さま方のご健康、ご長寿、無事故を、そして幸福を、真剣にご祈念している。
 
どうかこれからも、来る日も来る日も生命力を満々とたたえながら、朗らかに、どこまでも朗らかに進んでいただきたい。
 
そして皆さま全員が堅実な信心の実践で大福運を積みつつ、壮大なる、また絢爛たる創立70周年(10年後)への歴史を飾っていかれんことを重ねてお願いしたい。
 
本日は本当におめでとう。ご苦労さま!

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