ユニセフの調査  世界では、5分に1人のペースで、子どもが暴力によって亡くなっている

 

〈共生の地球社会へ~仏法の英知に学ぶ〉 テーマ:非暴力の精神




登場人物

【ミライさん】好奇心旺盛な女子部員。世の中の出来事について、父・ホープ博士と語り合うことを楽しみにしている。
【ホープ博士】勉強熱心な壮年部員。毎月1回、家族と一緒に教学を研さんしている。「博士」はニックネーム。本業は会社員。


自他共の尊厳を守る信念を強固に

ミライ 今月、アメリカ・ニューヨークの国連本部で国連総会が行われているね。緊迫するアフガニスタン情勢をはじめ、人道危機に対応するための議論が始まるようだね。
  
ホープ ユニセフ(国連児童基金)の調査によれば、世界では、5分に1人のペースで、子どもが暴力によって亡くなっている。

SDGs(持続可能な開発目標)では、「平和と公正をすべての人に」という目標の下、「あらゆる場所において、全ての形態の暴力及び暴力に関連する死亡率を大幅に減少させる」ことなどを掲げているんだ。


瞋恚の克服

ミライ なぜ同じ人間同士で憎しみ合い、暴力や争いにエスカレートしてしまうんだろう?
  
ホープ この問題を仏法の眼で捉えてみよう。仏法では、「合戦は瞋恚よりをこる」(御書1064ページ)と、戦争の要因は、怒り、恨む生命にあるといわれている。瞋恚とは、例えば、裏切られ、踏みにじられたと感じることで心の奥底に蓄積する“負のエネルギー”ともいえるよ。
  
ミライ 「瞋るは地獄」(同241ページ)とあるように、瞋恚は地獄界の境涯のことだね。
  
ホープ そうだよ。生命が瞋恚に支配されてしまうと、相いれない対象を「敵」「悪」と見なし、やがて敵意が暴力・武力となって現れ、争いに発展してしまうんだ。自身を「善」、他者を「悪」と分け隔てる善悪二元論的な思想では、双方に恐怖や不信が増幅され、やがては社会の分断を深めることにつながりかねない。
  
ミライ こうした負の連鎖は、人間の業ともいえるね。
  
ホープ 仏法で説く「
十界互具」は、とても示唆に富んでいるよ。

十界互具」では、私たちの生命が善の境涯にあったとしても、悪の境涯も同時に具わっていて、生命の状態は縁に触れて変化を繰り返すと説くんだ。だから、たとえ瞋恚の生命に覆われていても、決して固定的に捉えるのではなく、変革の可能性があると見つめるのが、仏法の生命観なんだよ。

池田先生は語られているよ。
「仏法の『十界互具論』が促しているのも、互いを“悪”として糾弾したり、排除し合うのではなく、同じ人間として引き起こす可能性がある“社会の悪弊”の根を断つために、『内なる悪』への眼差しを互いに忘れず、自他共に『善性』を薫発し合う生き方を選び取ることなのです」(第39回「SGIの日」記念提言)
  
ミライ 自分自身に「悪」なんてないと思い込まないこと。そして、相手にも善性が具わることを信じる姿勢が大切なんだね。


不軽の実践

ホープ 瞋恚を乗り越え、平和と共生の心を確立するためには、仏界の生命の働きが欠かせないんだ。どんな人にも等しく仏性があると説くのが、日蓮大聖人の仏法だよ。この「万人が仏」ということを象徴する、「不軽菩薩」のエピソードが法華経に描かれているんだ。不軽菩薩は、あらゆる人に「二十四字の法華経」を説き続けたんだよ。
  
ミライ 二十四字の法華経?
  
ホープ 法華経の心を24字に凝縮したもので、次の意味があるんだ。
「私は深く、あなた方を敬います。決して軽んじたり、慢ったりしません。なぜなら、あなた方は皆、菩薩道の修行をすれば、必ず仏になることができるからです」
不軽菩薩は、万人の仏性を信じ、決して軽んじなかった。増上慢からの身体的暴力や言葉の暴力を浴びせられても、さっとかわして走り去り、遠くから再び24字を言い続けたんだよ。
  
ミライ 徹底して非暴力を貫いたんだね。
  
ホープ 池田先生は、不軽菩薩に脈打つ「非暴力の精神」について語られているよ。
「仏教の非暴力とは、口先だけの理想論ではありません。観念的また逃避的な敗北主義とも異なります。自他共の『人間の尊厳』を勝ち取るための積極的な“行動”を前提としています」

「暴力に暴力で抗するのはたやすい。しかし、それでは悪の輪廻は止まらない。また暴力に泣き寝入りしても悪を助長する。そのどちらでもなく、『人間の尊厳』を侵す、あらゆる暴力に対して、非暴力の強靱なる信念で、妥協なく戦い抜いていく――そこに仏教の実践があります」
  
ミライ 非暴力の行動とは、相手の善性を信じ、引き出そうとする勇気ある挑戦なんだね!
  
ホープ 一見遠回りのようであっても、多様な人々との対話や交流を通じて、信頼と友情の絆を幾重にも結ぶことで、自他共の善性が薫発され、「非暴力の精神」に満ちた社会が築かれるんだよ。

御文

不軽菩薩は多年が間・二十四字の故に無量無辺の四衆に罵詈・毀辱・杖木瓦石・而打擲之せられ給いき、所謂二十四字と申すは「我深く汝等を敬う敢て軽慢せず所以は何ん汝等皆菩薩の道を行じて当に作仏することを得べし」(日妙聖人御書、1215ページ)

メモ

法華経常不軽品第20で登場する不軽菩薩は、釈尊の過去世における修行の姿の一つです。威音王仏の像法時代に仏道修行をし、自らを迫害する人々に対してさえ、必ず成仏できるという「二十四字の法華経」を唱えました。

しかし、上慢の四衆(在家・出家の男女)から、ののしられ、石を投げられるなどの迫害を受けます。それでも、相手の尊極な仏性を敬うゆえに、礼拝行を貫き、成仏の因を積むことができたのです。





[コラム:“いま”を知る]生命の手段化と戦う

来月2日は、国連が定める「国際非暴力デー」。1869年のこの日、非暴力を貫いたインド独立の父、マハトマ・ガンジーが誕生したことに由来する。ガンジーの非暴力運動は、「サティヤーグラハ(真理の把握)」と呼ばれ、不正と暴力に立ち向かう力の源泉を人間の内面に見いだしていた。ガンジーは、「正しい手段は、正しい結果をもたらす」との信念で非暴力運動を続けた。平和な社会を実現するために、暴力に訴えることは不合理である、との哲学だった。

これまで“正義”の名の下に、多くの血が流され、人間の尊厳が踏みにじられてきた。人間の生命を手段とする宗教・思想を、正当化させてはならない。御書には「命と申す物は一身第一の珍宝なり一日なりとも・これを延るならば千万両の金にもすぎたり」(986ページ)と。生命そのものは、何にも代えがたい至高の価値である。生命尊厳という平和の哲理を、一人一人に語り広げゆこう。

2021年9月28日

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